| 1、北條氏照 ・・・秋の八王子城 |
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| 2、擬似遺構鳥瞰図 |
3、南方方面 地図 |
4、御霊谷方面 地図 |
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| 5、搦め手 地図 |
6、御主殿-A |
7、御主殿-B |
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壮大な御殿 |
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| 8、あんだ曲輪上空 |
9、山下曲輪-高丸 |
10、本丸付近要害部 |
11、水汲みの谷津 |
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| 御主殿-太鼓曲輪-南西高 |
日本一の馬蹄段 |
360度の展望、スサノオの命 |
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| 12、大天主-富士見台-熊笹山 |
13、高丸の戦い |
14、八王子城・滝山城への道 |
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| 壮大な防衛体制 |
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八王子城へ行く前に
しばらく物語を楽しんでください。。。。 |
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| 15、十々里山の戦い(武田の武将小山田信茂がこれを攻める)幻の八王子城より抜粋 |
永禄12年の秋、甲斐の武田信玄は、見せかけの伊豆・駿河侵攻の擬勢を突如として反転させ、北進して上州碓氷峠を降り、後北条の各支城を抜き、小田原へとめざしていた進路をまたしても多摩川上流に変転させて、滝山城にその矛先を向け拝島に陣を張ったたのである。
-----おりしも、木の葉舞い散る小仏峠をひたひたと押し寄せる一団があった。
武田の武将・小山田信茂が率いる別働隊である。まさかとおもっていた氏照は、信茂が淺川川原に進出したという知らせを聞き、気も動転したことはいうまでもない。復背に敵兵を受けることは攻防戦にとって非常に不利である。早速、氏照は、家老の横地監物・布施出羽守等に精鋭三百騎と兵二千をつけて、これを迎撃するため出撃させた。
-----小山田信茂は、この十々里山の地形に明るかったので、慌てて繰り出してきた滝山勢の動きを巧にとらえ”きつつき戦法”という奇略を用いてこれを徹底的に打ちのめした。これが歴史にも名高い“十々里合戦”である。 |
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| 16、三増峠の戦い(武田、北条2万対2万の戦い)幻の八王子城より |
滝山城と自分の領国を信玄によってわがもの顔に蹂躙され、あまつさえ、城下ことごとくを焼き払われ、恥辱の一敗地にまみれた氏照は、この機会に武田軍の退路を絶ち、信玄もろとも一網打尽に破滅させようと図っていた。
-----信玄は帰途、鶴岡八幡宮参拝と称して鎌倉方面に向かっていたが、平塚に至り急遽相模川をさかのぼり、北相の津久井から甲州に抜ける道を選んだ。
これを知った後北条方は、武田軍を追撃し厚木北方の三益峠で敵軍と遭遇した。そして、北条氏照を頭に氏邦・氏忠等兄弟合わせて約2万と武田方の約二万が、秋の三益峠の高原に入り乱れ大激戦を展開したのである。氏照はここでも利あらず、さんざんな敗北をきっしたのである。
-----甲州兵が去ったあとの滝山城には、氏照を中心に敗残の将が相寄り、三たびの合戦にことごとくに破れたあとの憂色が色濃く漂っていた。
滝山城のような高低差が比較的少ない構造では、このごろ流行してきた鉄砲による戦いには向かなくなってきていたのである。
――――「城を小仏の近くに移さねばならぬ」「じこうじの深沢山はどうか」などと城移転の思考にふけっている氏照の姿が想像される。
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| 17、八王子城合戦(天正18年6月23日(1590年)夜明けの奇襲を告げる1発の銃声がなり響く) |
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| 18、御霊谷の戦い |
勢ぞろいした馬上の武者、さっと一勢に長槍の林がならんだかとおもうと、それを合図に<ドドーン>と数発の大筒が中宿の向かってうちこまれました。
「貝を吹けいっ」 と御霊谷守将・対馬守は采配を上げて叫びます。
「ブォオー」あちこちで法螺貝が吹き鳴らされます。
「太鼓を打てー」 対馬守の配下が背負った陣太鼓をうしろの兵が叩きます。貝も太鼓も約束された音の高低とリズムで鳴らされるのです。大筒、太鼓、法螺貝、馬、陣鐘いろんな音がいり乱れて大一陣の戦場は騒然となってきました・・・ |
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| 19、山下曲輪・あんだ曲輪・御主殿の戦い |
「やむなし」
「けいかの川のところまで退けい」
山下曲輪守将の近藤助実がどなっています。もう背負い太鼓を叩く暇もありません。
北条勢は横地曲輪を放棄して、一目散に城内にむかって退きはじめました。横地堤を乗りこえた豊臣勢がそれを追いかけます。走りおくれた兵士が馬上から槍で突き刺され最後の声をあげています。なかにはうしろむきになって勇敢に刀をふりあげている兵士もいます。
その時です。けいか谷戸の林の中から20騎ほどの馬上武者があらわれ、トドドーと豊臣勢に横槍を突き入れました。
あまりにも突然のできごとだったので逃げる北条勢に追いすがっていた豊臣勢も一瞬たじろぎました。「隠し砦の伏兵じゃ油断するなぁ」敵の騎馬武者が叫んでいます。・・
曲輪のまえは花かご沢の深い谷でしきられ、その前には“馬出し曲輪”が築かれていて、そのなかには馬上の武者や兵士がかくされています。“馬出し曲輪”のまえには敵の騎馬隊を防ぐ馬防柵、土塁、堀など特別な仕掛けがしてあります。
敵も味方も必死です。激しい戦闘がくりひろげられています。
「貝を吹けーぃ」 前方の柵が次々と敵に抜かれているとき 助実は叫びました。かくし砦からさっと騎馬武者が谷川ぞいにくりだし敵に横槍を突きいれます。そしてそれがなんどもくりかえされました。そのたびに打ち壊しの敵兵がちります。
「鐘を鳴らせーいっ」 助実は次の采配をふりあげました。
「太鼓を叩けーっ」 助実が次々と指示をだします。馬出し曲輪でまちかまえていた騎馬武者の一団が敵の正面に 向かって突進してゆきました。その後を槍隊が駆け出します。山下曲輪前面の戦いは、一進一退でした。豊臣勢の犠牲者がふえています。むしろ北条方の方が優勢のようにさえ見えました。
「殿あしだ曲輪へ退かれませっ。ここはわれらが防ぎまする」 助実を中心にしてまわりをかこんで防戦していた家来たちがいくらすすめても助実は聞き入れません。
「われらは八王子城にその名ありし近藤出羽守助実なり、欲しくばこの首とって手柄とせょー」 と言うと敵軍の真っ只中に切りこんで行きました。
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なし梅の木谷(今は、月見、花見、極楽浄土)
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| 20、御主殿の悲劇 |
御主殿にのこっている兵士たちは、そのほとんどがなかにいる女の人や子供たちと関係のある人たちだけです。妻や子、親たちを助けたいとおもって必死に戦っているのでした。
「お菊、かくごをおきめくだされや」母の妙がなぎなたを持ち替えて、いつでも戦える姿勢をとります。お菊もそれを見習って身がまえます。そして帯にさした懐剣をあらためました。
見上げると太鼓曲輪が燃えています。
敵にさされた味方の兵士が崖からころげ落ちるのがみえます。お菊の目にもそれがはっきりみえました。
-----あぁ。わたしもここで死ぬのだ。-----お菊はいまそのことがわかったのです。
「なんにもしてやれなかったのう。この母をゆるしてくだされや」母が正面をみすえてつぶやきました。
「いえ、菊はよいお父上、母上、兄上をもって幸せでございました。わたしこそ母上になんのご孝行もせず、もうしわけございませんでした」
「良き、殿御に嫁あわせてやりたいとおもうていたに、せめて敵のはずかしめを受けぬうちに」
「もったいないことばを」それが母と娘の最期の会話でした。
とうとう勝手口も破られて敵が御主殿に乱入してきたのです。
ご殿のまえの広場では血みどろの戦いがはじまりました。
「もはやこれまで、かくごしや」「かくごしや」 あちこちで女房たちの声がします。
「母さまちご一緒に」「おまえとともに」
けなげな子供の声がします。老母の声がします。ご主殿の回廊にたっていた人たちがそれぞれ息子のそして娘や老いた母の手を引き、木土台のおり口にむかってあるきはじめました。
「母上、では」 お菊はただそれだけを母につげるとみんなのうしろについてゆきました。懐中の短剣をぐっとにぎりしめて・・・・・・・ |
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| 21、金子曲輪の戦い(いくさの記より) |
「谷の敵を間近にひきつけよー」 金子家重が言うと<ドドーン、ドンドン>と陣太鼓がうち鳴らされました。すると、梅の木谷を守っていた味方の兵たちがさっと金子曲輪の柵のなかにひきあげます。
北条勢が逃げたかと思った上杉勢が金子曲輪の真下に詰め寄りました。曲輪の柵のなかには楯がびっしりならべられ、そのうしろに槍隊、鉄砲隊、投石隊、弓隊などが曲輪のまわりをかためています。頃合をみて家重が叫びました。
「撃てーッ」 <ジャンジャン、ジャジァーン>
陣鐘がけたたましく鳴らされると
<ダダーン、ダダーン>北条方の鉄砲がいっせいに火をふきました。
「投げーいっ」 <ドドーン>
こんどは太鼓の音とともに、投石隊がかどのついたこぶしほどの石を、土手の兵士めがけて投げつけます。
眉間を割られた敵兵が悲鳴をあげて土手を転げ落ちてゆきます。でも、なお、のこった勇ましい兵士が曲輪の柵にとりつきました。今度はかわって、槍隊が槍をつきだしこれを突きます。そのあとから応援にかけつけてくる敵兵を弓隊が射ぬきます。

なんどもなんどもこのような戦闘がくりかえされ、さすがの上杉勢の先手もっぜんめつしました。梅の木谷は倒れた上杉勢の屍でるいるいとしていました。
「おとせー」 <ジャジャーン>
家重の采配があがるたびに、曲輪から大きな石がゴゴゴゴとおちてゆきます。それが、一列なって大手道をのぼる前田勢の頭上にふりかかります。それでも、馬蹄段がひとつひとつくずされてゆくたびに大手道の前田勢が曲輪に近づいてきました。
北条方の弾丸も石つぶても矢ものこりすくなくなってきました。金子曲輪に決戦の時期がやってきました。
「貝をふけーっ」
家重はおもいっきり采配を高くあげました。 その時、銃声がして一発の弾丸が家重の胸を貫きました。・・・・・・・・
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| 22、搦手攻撃軍の進路(いくさの記) |
豊臣勢3万5千人のうち、前田・上杉・真田・松平などの搦手攻め連合軍、1万5千人は、少々の抵抗にはあったものの、なんなく門を突破したのだが、細久保谷、城坂谷のしたまできて、その険しい山の姿にしばらくぼうぜんとなっていました。
「直江山城守どの、ご貴殿ならこれをどう攻められる」前田利家の嫡男、利長が上杉景勝の家老に聞きました。
「さて、利長どの、これは難問じゃ。この二つの谷をむりにせめれば、味方の犠牲はかなり大きい」山城守にもいまのところうつ手はなさそうです。
「されば、利長どの。いたずらに手をこまねいていても戦にはなりますまい。ここはひとつさぐりをいれてみてはいかがじゃ」
そばにいた真田昌幸が意見を入れました。そもそも、豊臣秀吉が北条を征伐しょうとしたのも、この真田昌幸と北条氏政の土地あらそいが原因だったのです。
利長は昌幸の意見をいれて、戦をしかけてみることにしました。各部署からえらばれた兵を二つにわけ、城坂谷と細久保谷に突入させるのです。
「かかれーぃ」 搦手攻撃軍の総大将、前田利長の軍配があがりました。貝がふき鳴らされ、ドドーッと軍勢が谷の奥へつっこんでゆきました。
しばらくして、山をゆるがす地響きがしたかと思うと、谷から人の叫び声と馬のいななきがきこえ、砂塵が舞いあがりました。「もうしわけもありませぬ、われら谷をおそい、高丸ともうす尾根や谷をよじのぼろうとしたとき、山に上よりおそろしく巨大な石がおちてまいり、人も馬もことごとく失いましてございまする」
「ききしに勝る要害じゃ、これでは山城守どのがもうされるとおりじゃ、さていかがしたものか」
利長が嘆息まじりにしあんしているとき・・・
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| 23、本丸の戦い(いくさの記) |
本丸で法螺貝がふかれています。<全員各丸にてたてこもれ>の合図です。
のこった八王子城の将兵がすべて城山の頂上にたてこもりました。敵の法螺貝も各陣地で高々とふかれています。
いよいよ<総攻撃>の合図です。
それと前後して、前田利家、上杉景勝、真田昌幸、直江山城守、松平康国など大将たちも床机をたたみ、山頂ちかくに陣を移しました。
なにしろ、数十倍の膨大な軍勢です。それがまとまって総攻撃をかけるのですから。
-----北条方は、三の丸に狩野一庵、中の丸に中山家範、二の丸に大石信濃守、本丸に横地監物が布陣していました。
-----三の丸の狩野一庵が兵50人ほどを引き連れて、東木戸と腰曲輪のあいだを遮断します。敵兵が一ヶ所にかたまったのをみて、中の丸の鉄砲が火をふきました。たくさんの敵兵が倒れます。
こんどは家範が100人ほどの兵つれて、腰曲輪につっこみました。そして、のこった敵兵をのこらずたいらげさっさと中の丸にひきあげました。
それでも、新しい豊臣勢がどんどん増えます。
-----本丸の横地監物は、三の丸危うし、とみて、本丸の兵を三の丸の木戸へくり出し、狩野をたすけみずからは馬周りの兵をひきいて前田勢にたちむかっていきました。
-----中山家範はゆっくりと馬つなぎ場にゆくとひらりと馬にまたがり部下の兵をみまわしました。
「皆の者、これまでようこのわしにつかえてくれた、れいをもうすぞ、これよりわしは、豊臣の奴ばらに八條流馬術の手なみをみせてくれるわ、そちらはこれで城をのがれ出るもよし、わしについてくるもよし、家範けっしてうらみにはおもわぬ」
右手に槍を水平にかまえ、左手にしっかりとたずなをつかんだ家範は中の丸境の木戸をおしひらき、ドドーっと馬をくりだしました。兵がそれにつずきます。
馬上の家範はまるで蝶々のようでした。
三の丸下の腰をひらりととび、腰曲輪から二の丸下へひらりひらりとあざやかにかけまわります。むらがる敵は馬の前足でたたき、追いすがる敵は後足でけちらします。横の敵は槍でさし、家来たちも主人のまわりをまもります。あざやかな家範の手綱さばきに、敵も味方もその華麗さに見とれていました。
-----真田勢をけちらしねじふせ、二の丸にはいるとまるで阿修羅のように暴れまわります。紫おどしの鎧にはなん本の矢がつきささっています。うけた槍傷、刀きずから血がながれ袴を朱に染めていました。みればまわりには部下はもうひとりもいませんでした。
-----ゆるせ。わしもすぐゆくと心のなかでいのりました-----
「殿、ごくろうさまでござりました。もう、そのくらいになされませ」そういうと、中山殿は、夫のうしろにまわり、鎧のひもをといてやりました。
そして、自分もふところの短剣をとりだすと、家範をみつめただけで微笑みをなげかけました。
家範はにっこりとうなずきました。
「いざ」「はい、ともに」・・・・・
・・・・・・・二人の屍の上には誰かがかけたか 紫色の袈裟がかけられていました。 |
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| 24、お比佐さまや監物の城脱出(いくさの記) |
「新左ェ門はおらぬか」 大石信濃守は北がわの腰曲輪にむらがるてきを牽制しながら、横地の家来の田草川新左ェ門の名を呼びました。
「新左、これに」
「おお。新左ェ門か、もっと近くによれ」
「そちは武田の遺臣だったのう」
「いかにも」
「甲州の生まれか」
「いや。小河内の原村でござる」
「武田の姫のことを存じているか」
「松姫さまのことでござるな」
「そうじゃ、そこでお主にひとつたのみがある。ここにそれ、氏照さまの書状がある」
「これは殿が小田原に行く日、わしにそっとわたしていかれたものじゃが、内容は、もし万が一のことがあれば横地監物を城から脱出させ小田原へよこせとの命令じゃ
」
「・・・・」
その時氏照の小姓の牛太郎がお比佐さまに近づくや
「奥方殿 われらにおぶさりなされ 一刻も早く」と、言うや奥方をおぶさり柵の外へ消えさりました。
「飛翔の陣」信濃守が最後の陣形をさしずします。
本丸の木戸をくだいた豊臣勢は、本丸に乱入したとき、目のまえに、燃えさかる炎を背にした一羽の美しい火の鳥をみました。
「みごとじゃ。われらは、上杉、藤田能登守が家中、夏目舎人之助ともうす。今ここに、北条氏照が陣立ての真髄をみたり」
「うーむ、われらも同意。かくのごとき陣立てを前にして戦うは武士のほまれ。加賀前田の流連竜が家中、脇部太郎右ェ門なり。いざ一戦交えようぞ」
「横山大膳」 「中川武蔵」 「富田越後」
豊臣方の武将たちは、この乱戦のさなかでも、冷静にこれほどの陣形をたてなおした大石信濃守に八王子城武士の美しさをみて、感激のあまりそれぞれ名のりをあげたのでした。いまや、信濃守が 北条氏照 そのものに見えました。
「いざ、ゆこうぞ」・・・・・・信濃守は火の鳥になって飛び立ちました。 |
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| 25、幻の八王子城 |
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八王子築城・「印文未詳印」
翌元亀元年(1570年)八王子市八日町(今の諏訪神社付近)に、甲州の兵が盛んに出没しては滝山城の南後方を撹乱していた。
昨年、武田の攻撃によって失われた兵力おいび施設は、回復するにはまだ時間がかかっていたに違いない。 その弱みにつけこんでの信玄の嫌がらせである。
奇襲を受けた小仏越えの道、そして案下道は、武田の新しい浸入路となりつつあった。
氏照の父・北条氏康は、氏照以上にこの現象に注目し、かつ憂慮していたようである。
----- 目次 -----
北条氏照の出生
氏照青春時代の空白
滝山城への入城
戦国武将・氏照・「如意成就」印
憂色・滝山城 八王子築城・「印未詳」印
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| 26、 写真集 |
城山川童も参入 |
5月31日 湯原、荒木夫妻が八王子城蹟に。観音堂前広場で多くの人と撮影会。(2009年6月)
7月17日 テレビ東京 PM7:00 放送予定 |
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| 満開の梅の木谷 (2009年2月) |
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| 観音堂 (2009年2月) |
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| 2008年大晦日PM11:00。八王子城から東京・横浜方面 羽田空港の発着陸、ベイブリッチも確認できます。 |
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| 2009年元日 |
皆さんと一緒に写真撮影 |
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高橋國男さん ”城山ぶらりびと”ゴミ拾いをしているという高橋さん。
年間130日以上をしろやまを歩く。チリン、カランと鈴の音を聞いたら声をかけては。昨年400年?前の遺構を発見。色々教えてもらえるかも! |
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| 高橋國男さん。この度日頃の活動が八王子親切会より表彰。(右:高橋國男さん。中央:黒須八王子市長、左:前川實さん) |
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| 今よみがえる八王子城!四百数十年ぶりに、ちょっと顔みせ。 |
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約千年前からあった、由比牧址
千百数十年前、北條氏照12才〜20才この地に住む |
北條氏照時代に栄えた市場 |
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氏照の墓 |
淵 |
嵐の滝(左 2007.9.15, 右2007.9.16 ) |
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| 改修完了!2008.02.28 |
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子:「どうして水が入っているの?」
子: 「注射器でいれたの?」
耳を澄ませば水が流れる音
不思議な音色は1分30秒
「竹水は数万本に1本みつからかどうかの自然のもの」
「1分30秒の癒しを楽しんで」 |
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竹水 |
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| 説明会 |
新発見!?今年 新しい道が見つかった? |
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| 変な木? |
本丸登り口(2008.02) |
長田さん梅の木谷で枝おろし(2008.02) |
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小屋前でお手伝いのNANAちゃん |
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当ホームページは、個人で作成されたホームページです。日々の研究・探索の結果を、ご紹介しています。
小田原に並ぶ城郭都市を作ろうとした氏照。現在も発見される遺構。未完の八王子城 ”氏照の夢” 実現のお手伝い?!
小説家、ロマンチスト「前川實」氏の『私記 北條氏照』・『幻の八王子城』・『いくさの記』・『母さんお城がもえてるね』その他の論文を参考にし、協力していただきました。
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| *前川實氏・・・活動の記録はこちら |
| お楽しみ・・・歴史好きのあなたに |
| T・M の現場レポート・・・現場の熱気をお伝えします。 |
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